釈迦(ブッダ)の教え一覧

就職が決まっていないN町の人が大学に通うとN町の物が売れなくなる

ダイバ(釈迦の悪弟子、ダイバダッタから名づけた)たちとダイバモドキ(ダイバダッタに似ている気持ちの人物)たちの言葉、思い、行動は某有名HPにある有害な人、サイコパスとぴったりと一致していた。学校を中退させる人達のやり方、手合いは常識をかざす

近所の人たち全員の賛成が必要だ、と言う不幸にするのが仕事の人々

警察に捕まらない、法律で裁けないようにしながら、ターゲットにした者が困るように、大学を中退させ、バイクの免許すら取らせないようにすることを楽しみとする手合い達の思いと行動は、サイコパシー、変態とかいいようがない。かっこ良いとさえ思っている。

天は自ら助くる者を助く。まずは自助努力が必要。不善を善としない。

悪事を見て見ぬふりをするのは認めていることと同じ、という教えが釈迦の教えにはある。自分が悪いことをされて黙っているのは、悪が自分以外にも繰り返される可能性が大きくなる。悪事をなかったことにして、繰り返されることをそのまま見ているようなものだ。

第三者が決める悲惨な道から抜け出すために

平和の名のもと目当ては物。聖なる教えとは反対の教えを世間の動向に合わせて広めている手合い。学校や仕事を辞めさせに飛んでくる悪人は、唯物的によく見えるように、善いことは「義務的にしなければならないこと」として、勤労奉仕、社会活動をしている。

善を不善にする者たちの手法。良く見せる言葉・行動・思いの真実。

近所の家の息子を大学中退させるために釣りという口実で遠出していたダイバモドキ。受験失敗か退学させるために近くの学校を受験させたい近所の邪な者たち。ソ連のアフガニスタン侵攻。普通にしか見えない善良にしか思えない人が悪人だったりすること。

自分を良く思わせながらも、常に誰かを妬んでいるのは、邪な者だ。

争いをなくすには忍が必要。宗教者には非法を説く者もいる。思いやり、慈愛のある言葉を使い、思いやり、慈愛のある行動をする。自分と相手に思いやり、慈愛のある気持ちを向ける。常に正を嫉む人は邪な人。誠実な人と表面的に愛想の良い、話上手は仲良くない。

外はきれいに見せて、内は穢れている。類は同一ではない。

同じく信仰があると言っても、真あり、偽あり、善あり、悪ありで同一ではない。不善なるものは善をけなし、騙して善を悪とする。世間には外が美しく、内が汚れている者が少なくない。外は清白を装うが、内は穢れていて欲望に燃え、虚偽で、誠実なところがない。

自分達は厳しいことを守っているのだ。人気を得るための勤めと戦の元

提婆達多(ダイバダッタ)という仏陀の弟子は、人気取りのために厳しい戒を作り、王子をそそのかして王を亡き者に。5・15事件のもとは全国の若者の憤りが出たというのは表向きのことで、水面下では、ある団体の一派が思いをうつす手法と共に煽っていた。

あなたの心からの助言でさえも、妖邪は驕慢だから、まず聞かない。

あなたに善い影響を与える本、人、芸術作品、思想などを妖邪は線引から対立に。あなたが自分で理由を考えたような想念を入れる。物を置くとき、開け閉めなど力を抜くところで力が強く入る。出したくない音を出してしまう。誰かが出した音に対して理由なく憤る