卒業するために必要なこと

受験シーズンです。受験に向かう道すがら、合格してからの新生活、新しいアパート、マンション、家からの通学、通勤の途中、最初のオリエンテーションなどから仲良くする人には注意しなくてはいけません。

待ち伏せ、迎えにくる、やたら馴れ馴れしい、話しかけやすい雰囲気、かわいそうに思えてくる、勢いよく友達のようになりたがる、などして、近づいてくる手合いがいます。

現実感がない中で、無茶苦茶なことをして、争いを誘発、先導させて、自分達は偉いのだ、特別だと強く思い込んで、手段を選ばず物質(肩書、称号、成績、成果、実績含む)を手に入れます。

供養なのか願望なのか小我な望み(依存している団体の勢力拡大もあるでしょうが)、物的な欲と権力欲、欲しさの念仏を唱えて、そのような完全に後ろ向きと言える動機と分断させたい思い、愛のかけらもない(自分が可愛いという自己愛はあるかもしれない)、争いを生む孤独が集った集団の教えに染まった子孫の思いなど、供養になりはしないのに。

お経を唱えることで唱える人の念が強くなったり、落ち着き明るくなるということはあるでしょう。大我で真摯な方の中には、特別、神仏と呼ばれる高級霊とつながる方もあるでしょうが、日頃の行い、言葉、動機からして、体をもたない(他界したので物質がいらない)先祖と繋がることができるのでしょうか。

お経というものは、亡くなった人がお経の勉強をしていて、意味が分かっていなければ通じるものではありません。

思いを伝えたければ、そのまま念じるか言葉にした方が良いのです。

前向きな姿(心)を先祖に報告、見せることも供養の一つです。

弱らせて、なんでも言うことを聞かせて、悩ませて考えを狭くさせて、相談に乗るという手合い。

風が吹けば桶屋が儲かる、のように、通り魔かスナイパーのように暴言をぶつける、または直接、いじめを行うなどして、人を弱らせ悩ませ、その人の心と進む道の角度を変えるなどして、桶屋のように相談に乗ると来るのです。

二人以上の集団で自作自演するのが、その手合いの基本です。 傷つけて薬を塗る悩ませて解消してあげるというわけです。

名前を言わないで、「自分たちはこうだ」「うちらは、こうしないといけないから」あらゆる物事を、こうなんだよ!と、勝手に決めて教えます。

中身が空なのですが、表面的でも、そのまま受け入れると、心が明るく面白く優しくキラキラ光って、なぜか自分たちは特別になったような、そんな想いを入れながら行うので、それが見えていないと引っ掛かります。

その手合いの特徴としては、服に対して不安になっているところがあります。自分が着る服を誰かに決めてもらったり、しっかり決めて誰かの真似をしていないといけないようなところがあります。服について、よく話したりもします。

嫉妬心を肯定、推奨する。顔を真っ赤にするほど、とても嫉妬深いところがあります。

その手合いは、漂白剤やそのような物、透明なものも得意です。(脳を洗ってあげたいのでしょう)

これから始まる新生活の参考にしていただければと思います。
その手合いと仲良くしていると、学校を中退することになったり、朝起きれなくなったり、不可解な出来事に悩まされたりして、人生が変わってしまいますよ。

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