見た目やイメージで人を判断すると幸せになれない

前回の続きになります。

仕事で頭をいっぱいいっぱいに使うのはなぜいけないのかと言うと、会社の仕事以外に自分の頭で考えることができなくなるからです。
つい楽な方に流されたり、楽で楽しそうなものは何でも受け入れてしまったり、甘い言葉にも乗ってしまいがちになるのではないでしょうか。

仕事が終わってからも休みの日でも仕事のことで頭がいっぱいでは、本当の自分がわからなくなります。

自分の心や自分が関わる相手、さらには社会問題、環境のことなどについて自分で考えることが困難になりはしないでしょうか。政治や有識者やテレビ・新聞・雑誌・インターネットや人の話をそのまま鵜呑みにしたり、受け売りのようにしながら自分の考えのようにしてしまったりでは、よろしくないでしょう。

仕事のことばかり考えなくてはいけないような経済の仕組みに日本はなっているので、仕方のないことかもしれませんが、これが事実でしょう。

流行りや意味のない明るさに我を忘れていませんか?
多数派に流されていませんか?大会社の製品・ブランドでもリコール製品がたくさん出ています。

知名度、高収入、高学歴、社会的地位が高いような人が事件を起こしたり、不祥事などはしょっちゅうです。それらを目安に人を判断することはもうやめましょう。

賢明な方や自分で物事を考えることが当たり前になっている人は、それらだけで物事を判断していません。

アメリカの元大統領バラク・オバマさんの著書に合った内容ですが、工業地帯などで仕事についている労働者の多くは、演劇などでよく語られるような、粗暴でだらしなくてどうしようもない滑稽な人達ではなくて、社会問題に関心を持ち自己批判の精神を持ち、自分たちでできることはやっていこう、社会をよりよく変えていこうというような、そのような尊敬すべき人柄の人が多いというのが事実だとありました。 (文章そのままではありません)

制服を着ている男性

それと、インターネットのニュース記事のある特集で読んだ記憶があるのですが、科学的に言うと頭の良さとは、栄養と運動で決まるのだそうです。
よく運動をして栄養をとっている人が頭が良いということになります。

テストの点数、偏差値、学歴、どこそこでどれだけ勉強した、一旦は覚えた、知識を詰め込んだというのは、ただ知識があるだけです。その知識を使っていないと何にもなりません。人間は忘れる葦ですし、少しくらいは覚えているかもしれません。

ただ過去にそのような勉強をしたという思いが残っているだけでしょう。

知識が全くない人と知識がたくさんある人の心の有り様はとても似ています。

知識は使うことで教養になります。

頭でわかっても体を動かして行動をしないと、わかっただけになってしまいます。

参考文献

鈴木 秀子(著) 死にゆく者からの言葉