お前知らないだろ、教えてやる。というゴロツキと全く一緒

動機が見た目や小我であれば、争って手に入れた地位や役は尊くない。

偉い?そういう価値観かもしれないが、出来レースについて。
本人はそれなりの努力はしています。緊張感や煩わしいこともあります。我慢しなければならないこともあります。
しかし、最初から決まっている出来レースであるから選ばれたり、勝利したところで、試練をこなしただけなのです。その地位や役についたところで、肩書きや収入、こなすべき役割(仕事)がついただけで、その人はその人なのです。

自分たちが出来レースで勝利させるとあらかじめ決めた人以外の人が、来ないように手段を選ばずやりたい放題なのです。もちろん、法律に引っかからないようにしています。
このような事実は当たり前のようにあるので、職業選択の自由を実質無視している行為でありますが、真剣な対策など、ほとんど良識に任せてあるようです。

こんなことも含めて、あらゆる事柄において、自作自演と人の思いの対象をずれさせることと反対にすること、争いと不満と悩みが世界を埋め尽くして、自分たちでそのようにした人たちに「何とかしてあげる」、「言うことを聞け」としている手合い。

手合いは、傲岸で操りたがります(傀儡)

新約聖書に登場するヘロディア(ヘロデア)のようなことをしている集団があります。法華経を表向きは崇拝しておきながら、実際は反対のことをしています。法華経に登場する悪僧を演じています。しかし、なんでもかんでも自分達の思い通りにするために、その場の思いつきなどでも何でもかんでも教えて、その言いなりにさせようとする等あらゆる手法は、法華経の中にある何度も繰り返して仏の教えを伝えると言う、釈迦とその弟子、仏様の手法を悪用しています。

これを購読すると大丈夫、そのような心配がなくなる、改善する。

機関誌を定期購読させようとします。
実は、自分たちの仕掛けた想念(生き霊)をちょっとだけ離す自作自演です。
自分たちの想念を入れやすくするために、これまでに私が過去の記事にも書いている「ずらし」を行うのです。

教える+ずらし

の一石二鳥!!
をヘロデアたちは行なっているのです。

ずらされると正常な愛念、自分の意識、心、これまで生きてきた経験の上にある今の自分の思考や人格、物事の区別、判断、倫理・道徳、良心さえもあやふやなものになりやすくなります。
争い、不満、憤り、怒り、弱り、言いなりにさせるのがヘロデアの「教える」目的です。

これが事実なのですが、異なった視点で申しますと、ありもしない儲け話を持ちかけてお金を集めているような商法。証明できないからどうとも言える霊感商法とも言えます。
正しい、綺麗、素晴らしい、美しいと心に思い浮かんでしまう「思い」を周囲にうつしながら悪質なことを繰り返し、繰り返し行なっているのです。
法華経を悪用して、悪の教えを繰り返し繰り返し、人を使いつつ広めることをクォーラン(コーラン)を真似して、美しいような詩的な表現で団結して行うように励まされ、教えられています。

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