カボチャと平和

参拝

日本では神社に参拝します。祈ります。

ハロウィンは、ハローとウィンで「Hello.  Win.」「こんにちは。勝つ。」みたいで、いきなりファイトで、自分が勝つか、相手が勝つか、みたいで争いが起きるようでさえあります。
1992年、ハロウィンのパーティーに出席しようとして、間違って違う家に入った日本人男性が銃で撃たれる悲しい事件がありました。この事件によって銃社会のアメリカが批判されることになりました。この事件の後も銃の乱射事件などが何度も発生して、銃規制を求める運動が盛んになってはいますが、銃社会はあまり変わっていません。

日本のハロウィンは、2018年10月の渋谷で表面化しただけでハロウィンはない方が良いのです。
それに日本に古くからあるお祭りでも多くの怪我人を出したり、命を落とす人が出たりするようなお祭りは、昔から続いている祭りと言ってもしない方が良いのです。
祭りされる神様の身になってみると、自分をお祀りするのに、怪我をするほどの危険や命を落とす危険のあるおまつりを真の神様は喜ばないでしょう。その見た目と争う気持ちだけでも神様の穏やかで優しい気持ちとは程遠いはずです。
祭りに参加する者の真剣さを神様は喜ぶのでしょうか、それは、こじつけだと思います。

祭りを開いて参加することで、一体感や充実感などを感じることはあるとは思いますが、別にこのような祭りじゃなくても良いのではないでしょうか。
祭りが盛んになればなるほど大きなお金が動きますし、観光客も見込めます。

ハロウィンの景気の代わりに何がいいか、どんな祭りがいいか考えているうちに、今朝5時起きしたのに昼寝をしていないことに気がつきました。
昼寝をして、それから起きると、あることに気がつきました。

ハロウィンは、かぼちゃのお化けです。ハロウィンは一年に一回のかぼちゃのおばけが有名です。
ある地方では、生霊の憑依を行う者を「お化け」と言ったりしています。生霊の憑依を受けた人を目の当たりにすると「お化けが出た」とも言ったりします。

ある日本の新宗教団体について

体面と見た目が良いようなことを、その会員や世間一般に向けてはいるが、実情はその見た目通りには絶対になってはいけないということである。言うだけ、見せるだけでなければならないと厳しく指導しているということ。精神的、物質的に模範のような言葉や行いは、よくて、言うだけ見せるだけで中身(こころ)が伴っていてはいけないのだ。
流行には積極的に乗るが、内心バカにして義務的に、なかなかできないことを実際にしてみせるか、できないことをしてみせるだけだったり、仲間内で馬鹿にされるからして見せているだけだったりする。心からしたくてしているわけじゃないのだ。
表面的には美しいこと良いことを我々の団体はしているかのように見せているから、実際にあなたは、そういう風にならなくていい、先輩方の言うことだけを聞いて、あとは好き放題に行いなさい。
・・・・・というのが真実だ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする