なるほど、そういうことか。でも、嘘でしょ。

嘘と言う漢字は、口に虚と書くが、彼らは心が虚である。

心が虚ろであれば、物に支配されやすい。物に支配されやすい心の人であれば、彼らは支配しやすい。心を虚ろにすれば、支配しやすくなるというわけである。

心を虚ろにするにはどうしたらよいのかと彼らは考えるだろう。

心を弱らせればいい、となる。心を弱らせるためにはどうすればいいか。その方法の一つに視点を狭くさせるということがある。世界を広く見せるのではなくて、世界を狭く見せるのである。

そして、彼らは物を得ることが全てという間違った価値観にする。

物は生きていく上で大切なもので欠かせないものであるから、尊いものであるし大切に扱わなければならないものではあるが、全てではない。

見せびらかすものでもないし、競争の道具のようなスポーツにおける得点ではない。

シンプルな考え方は、表面上の気持ちは楽である。

シンプルな考え方にしてしまうと、ほとんど考えなくてもよくなりそうになる。シンプルな考え方がエスカレートすると思いやりがなくなる、想像力がなくなる。

とても気楽なものと錯覚することもあるだろう。しかし、人の心や価値観までもシンプルにしてしまうと、心が虚ろに向かう。

持っている物や肩書きを目安にした本心からの魂からの身分制度を本気で好んでいる人はわずかだと思う。

テレビ画面から発する画面の光の色で表わされるような心持ちの何日かが過ぎて、その夜は真っ暗闇の夜だった。
あくる朝、父がとっている新聞が届いた。晴れ渡った。テレビの画面のような作られた光にも見えた風景から、その前の風景に戻ったような心持ちだったが、戻ったような心持ち。
なぜか限りなく透明に近いブルーのようで、中身がなくて、うつろで中身は空っぽのガラクタで、表面がやや薄い水色。
自作自演だった。

今コーヒーを飲んでいる。

眠っている間に夢というものは色々な夢があるが、その日に起きることや体験することの予行演習である場合が多い。
その予行演習である夢を見せるように、日中、頭の中にふと思い浮かぶことがある。意識して自分で考えたのではない。無意識に自動再生されるような思いで、脳裏をよぎるとも言うのか。自分から考えようとしないのに映像が入ってくるように、頭の中で勝手に再生されているような、そんな映像と音声のない言葉として入ってくるような言葉と思いがある。

それを利用して、文章をうまく読めないようにする奴らもいる。文章を読んでいると無意識に人はイメージしてしまう。人が自分のイメージで文章を読む前に、その無意識に奴らは自分たちがこしらえたイメージを挿入する。

そのイメージは、嘘のイメージである。嘘のイメージでなければ、わざわざ奴らは、そんなことはしない。嫉妬心が異常であったりもする。

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