他人の思いが入っても内観で気づける

ある日本の新宗教団体最大のウソは世界平和をうたい、反対のことを水面下で行っているということだ。

いじめて孤立させておいて、声をかける。自らが争いを起こして、救おうとする。
個人的な趣味でこういうことを行っていても精神異常であるかのように見えるものだが、勧誘して入信させるため、勢力拡大のために集団で行っている。

そして「全ては表現だ」と心と情けと中身のない行為・言葉・思いを表現している。

それにしても、多くの人たちが彼らのそのような行いや特性は聞いたことがあり、心のどこかで知っているものだが、厄介なことがあるから関わりたくないのだ。

その厄介なこととは、彼らが自分のこしらえた「思い」を相手にうつすこと。言葉を変えると自分の想い(想念、生霊)を相手に憑依させて思い通りに操るということを行うからだ。

彼らは、こんなことをしているものだから、よく多くの人が望む物を次から次へと手に入れていたりする。

内観とは、自分の心をみること。

その彼らの「思い」を回避するには内観が必要だ。

自分自身の本来の心はどういうものなのか。本来の自分を自分で知っておくこと。定めておくことが必要だ。自分の心を知っておかないと、彼らの「思い」がうつってしまった時に、その「思い」を自分だと思い、そのままでいてしまう。

自分はどういう心で、自分はどういうものなのか知っておくと、何か別の思い(別の人格)が自分に入っていると、これは自分ではない何かが、心の中に少しずれたように、だぶついているように心にはいっているのがわかる。つまり、心を乗っ取られそうになっても「自分」がわかっていると、自分を取り戻すことができる。

内観、精神統一、考えること、思いを巡らす、瞑想などの際、目は絶対につぶらないでください。

目をつぶって、そのようなことをすると、まず間違いなく、お先真っ暗、盲目的、盲従してしまうような発想でひたすら考えてしまいます。

どんどんどんどん気が付かないうちにネガティブで悪い方に想像して考えて決め込んでしまうかもしれません。

指導者のもとであれば目をつぶってするのも良いのですが、薄目を開けて行うのが良いとされています。

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