通貨と食品、環境について

質の良いエビを食べた。身がプリプリして大きくて充実していて食べ応えがあった。魚のキスも天ぷらで食べた。同様に思った。どちらもしっかりしたものだったので、しっぽを残さないといけない硬さと大きさなどの質であった。しっぽまで食べられれば、なお美味しく食べ応えがあったものだが、質の良いものを食べたが、ある違いないことがはっきりわかった。
それは食べるように活かして見て楽しんでいた方が良いということだった。できれば、飼育などして、たまに触ってみたいものだ。可愛がられながら生かされた方が幸せであろう。

アフリカなどで食料を得るのも困難な地域の人たち、そして難民にならざるを得ない人達など世界中で食料を必要としている人たちがいる。

その人たちに必要な食料の量と世界中で廃棄される食料の量とは一致していると言う。
つまり、廃棄される食料の量=不足している食料の量ということだ。

廃棄される食料とは、主に売れ残った食料や賞味期限・消費期限を過ぎた食料、食べ残しなどである。

経済至上主義のもとで、食料を生産して流通させて、販売したり料理に使ったりするその過程で廃棄される食品は出る。

廃棄される食品とは、捨てられる食品のことだ。

  • 売れなくなるから捨てる。
  • 賞味期限・消費期限を過ぎたから捨てる
  • 仕入れたけれど売れ残ったから捨てる
  • 食べ残す。

食品に限らず色々なものを無駄に使った方がお金の回りが良くなるから、どんどん捨てる、どんどん消費するという趣向も今までに見てきた。

アメリカのあるレストランなどでは、美味しく味付けした食べ物を客が食べきれないと分かっていながら、(捨てることを前提として)多く出して満足感を与えながら捨てている。

食料を得るのも困難な人たちというのも世界の経済の仕組み戦争や紛争の犠牲である場合が多い。

経済主義とはお金や物を争う主義と言い換えることができる。貧困は、その経済主義の経済の仕組みの犠牲者と言えるだろう。

好きで貧困になっている人はごく少数であって、食料を得ることも困難な貧困を多くの貧困に苦しんでいる方々は望んでいるはずがない。

貧困は、その本人や家族に原因があるという偏見に満ちているが、事実としては、社会が作り出していると言える。

廃棄される食品の量と必要とされる食品の量の数字がほぼ一致しているのは、偶然ではなくて必然であって、現在のこのような食品の供給の仕組み、生産から流通、加工、販売、サービスの仕組みを何とかしなければいけないということである。

大量消費の社会は言うまでもなく環境破壊、CO2の増加につながる。パリ協定に期待大である。
原子力、化石燃料使用ゼロで自然エネルギー100%、環境にかかる負担がゼロ、捨てたもののほとんどは再利用されるのであれば良い。

十字架のネックレス

十字架は尊いものですが、ファッションとしていくらでも身に着けられます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする