「平和・友愛・善」は本当はダメ、と子供の頃から教育されている

有名なCMに出演しているタレント。そのタレントが制作した映画の中に、手合い1)ジコ坊、自分免許の天狗、ヘロデヤ、ダミアンなどに例えている。抽象的な意味ではない悪魔との二人羽織状態(憑依状態)で、24時間365日まともではない。たちを批判する部分があった。
批判されたことから手合い達は、当然のように砂糖に群がるアリのようにタレントをターゲットにした。

学校や職場、近所、親類、家族単位の場で、出演しているCMで宣伝している商品とは、別のライバル会社の商品を手合いは宣伝する。

おもしろおかしく明るく見せて、何度も何度も宣伝する。
自分達を批判しているタレントが宣伝している商品とは、別のライバル会社の商品を宣伝する。
しかし、だからといって私が宣伝している商品を買ってはいけない、というわけだ。

二重の嫌さがある。(笑)

わかっているだろう。

宣伝していることを、そのまま信じたり、そのまま聞いてはいけないのだ。この場合、宣伝を見て喜んでいなくてはいけない。明るい気持ちになっていなくてはいけない。しかし、買ってはいけないのだ。

毎朝届く機関誌に書いてある言葉を、そのまま真に受けて信じたり、行動に移すようではだめだ。

日常会話、日常のことから教えていかなくてはならない。

手合いたちにとって、機関誌にある平和や友愛や友情、仲間を大切にするなど模範的、道徳的な美辞麗句の言葉は単なるスローガンであり、絶対にそうなってはならない、目指してもいけない、反対のものとしっかり教育されている。教え込まれている。

平和や友愛や友情、仲間を大切にするなど模範的、道徳的な美辞麗句などの言葉を毎日目にしている手合いたちは、周囲から見れば平和や友愛や友情、仲間を大切にするなどの言葉を読んだり聞いたりして、そうありたいと願っている人物に見えるものなのだ。

対処法として

職場や仕事関係、学校、サークル、近所付き合いなどで、顔見知りだったりすると無視するわけにもいかないから、なるべく関わらないようにする。最低限度の付き合いにする。無視が最も適切だが、無視されると手合いたちは騒ぐ。トラブルのもとになるから、顔見知りの場合は、あからさまに無視しない。なるべく関わらないようにする。
手合いたちは、よく見知らぬ間柄であっても、突然声をかけてきたり、挨拶をしてくるものであるが、その場合は無視しなければならない。

よくあるのが店内などで、店員や周囲の人に「あの人は誰?」と言い、店員や周囲の人に「どういう人かわからないと不安だ」という気持ちをうつしながら「どういう人か、誰かわからないと、みんな不安でしょ。自己紹介してもらわないと。」という内容の言葉を言う。

ターゲットになってしまった場合。そんなことはない、と自分に強く言い聞かせること。知らない人はたくさんいるから。

「どういう人かわからない?」大抵、わからない。

このような場合は、店員や店内にいる人たちの多くに、手合いの思いが、うつっている場合が珍しくないので、その時はターゲットとなった自分にまで、手合いの作った気持ちがうつってしまいそうになるのだが、冷静に考えてみればわかる。

自己紹介なんてしなくていい。悪魔が変なことを正当で当然なことのように、親切なことでしているかのように見せて(思わせて)いるだけ。

もし何らかの理由があって、必要ならば店員が聞いてくる。

後でわかるものだ。

しかし、誰でも、知らない人が誰か、どんな人かわかると、そうか、と思うものだ。

そういう気持ちを利用している。
手合いたちは「そうか。あの人はそうなんだ。親切に聞いてくれて感謝です」という周囲の人の「そうか。感謝、教えてくれた」という思いを自分に向けさせる。

ターゲットになった人も「あの人誰?と不安がられていた自分が、周りに受け入れられた。」ような思いになる。

コーヒーカップの贈答品など

自作自演である。

腕力や集団の力のようなバックをつけているようなクラスの嫌なやつ。いじめが好きすぎて明るく行っている。うるさいやつ。何かと教えたり、命令するやつ。目立つグループにいる。

夏休み、盛り場、大型店などでは特に気をつけよう。

脚注   [ + ]

1. ジコ坊、自分免許の天狗、ヘロデヤ、ダミアンなどに例えている。抽象的な意味ではない悪魔との二人羽織状態(憑依状態)で、24時間365日まともではない。

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