羨望これいらず、想像力これ必要

羨望

人は年齢を重ねたり色々な経験を積むと比較的若い年齢の頃に抱いていた憧れや羨望、プラスの意味での別の世界の人というような見た目とその人の意識、そのような環境にいてそのような経験ができる人は明るくて美しくてさわやかで人間らしさが全くなくて見た目以外のすべてはこちらの想像通りのはずだ、喜怒哀楽のうち喜びと楽しさしかない青写真か何かのポスターか作られた映像のような、そんなものがなくなってくる。

少なくとも僕はそうである。

若者の街と言われている街、地方都市のメインストリート。学歴とその人の心・人格・言葉と行い・経験。収入とその人の心・人格・言葉と行い・経験。肩書きとその人の心・人格・言葉と行い・経験などについての過去と現在の印象は同じではない。

憧れや羨望を持っている時期というのは、羨望という感情を肯定していたりする。
羨ましいような環境に生まれ囲まれ育った前向きで明るくて才能のレベルが高い人間というのは、まるで次元の違った・・・・・・なんてことは全くない。

実際にその肩書きや収入や学歴や聞いたことのある地名や有名な場所、建物に会ってみたり見てみたり接してみると、大げさに言えば(あくまでも大げさにいえば)拍子抜けすること普通で、そして、その人たち自身も、そのように自分を思っていたりしないものだ。

夏目漱石の小説「三四郎」でも与次郎がそのように三四郎に言っている場面があった。「・・・・・博士とか学士とか言ったって会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそうえらいともなんとも思ってやしない。是非出ておくがいい。君の将来のためだから。」

羨望や作られたイメージでそんなふうに思っているなんて、本当に笑ってしまうか、気の毒か、大げさに言えばそんなふうに思われている人の方が怒ってしまうようなものであることが多い。

このようなことは、よくあることだと多くの人たちは知っているが、そのよくあることでは都合の良くない人たちもいる。

相手を苦しませて悩み事を作らせてから相談に乗ると近づく自作自演の宗教団体である。

素晴らしく光り輝く爽やかで美しいと言うような、何か柔らかそうで光に覆われたような霧がかって、年齢の進んだ女優さんをカメラで写す時は白いモヤがかかったような照明を当てるとテレビで見たことがあるが、そのような観念。

観念とは念を観る。悪い人は念を見せる。自作自演の宗教団体は、念をつくり相手にうつす。ろくでもないものを美しく爽やかに明るく。落ち着いていて前向きで人間らしいものを汚いもののように。

そして仏教のお坊さんがよく口にするような言葉に思い(観念)をのせて、ありがたがらせて語る。理想、信仰などという言葉を美しそうに悲しそうに一生懸命そうに切り札に使う。

嘘八百、私利私欲で成果主義で見た目を気にして生きている人間が自分の理想を叶える、何でも思うがまま、など冷静に考えればまるで悪魔のような考えである。低級な思想に相違ない。

羨望

そのような自作自演の宗教団体が喜ぶ想念「羨望」などが当たり前のようにはびこっていたり、羨ましいもの望んでいるものを手に入れるために手段を選ばないお金や肩書きやモノをたくさん持っていても心が貧乏で攻撃的な人は、何をするかわからない。

民営化となった水道の実権を握り水道料金をあげていったり、遺伝子組み換えの食べ物を安く大量に作ってお金儲けをして、財界と政界で活躍するかもしれない。

地球温暖化をそのままエスカレートさせて、温暖化対策の事業をするに決まっている。戦争になれば一番安全なところを確保するに決まっている。

まずは羨望をなくしましょう。現代は情報をたくさん得ることができる。いろんな集まりに参加することができて、集まらないこともできる。

知ることができて想像することができる。また良くない縁を作らないこともできて、オプジーボのように良くない縁を切ることができる。 洗脳されずにすむ行動を取りたいものである。

テレビや新聞でのニュースは事実をそのまま書いてあるだけだから、事実を知るのには都合が良いが、そのような事実がどのような経緯で起こったのか。その事実の当事者がどんな気持ちであったか。どのような環境に育ち、どのような気持ちで育っていたかなどのことは、少なくとも想像したいものであるが想像するためには想像力が必要不可欠である。

想像力があれば思いやりがでる。

参考文献:三四郎、日本が売られる


三四郎 (角川文庫) [ 夏目 漱石 ]


日本が売られる (幻冬舎新書) [ 堤未果 ]

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