畏れとは、相手の人格・心を尊ぶこと

どうやってできた?その現象を外から見るようにすると、その仕組みを作った、作られた理由は?どうして、その式で表すことができる法則ができたの?
そもそも法則は、なんでこうなるとそうなる?

このようになることを求めた何かがある。ただ発生した、自然にそうなった、とすれば、その発生する仕組み。発生の法則、自然の流れ、自然の動きの「その流れ」「その動き」のもとは?
真空だの何もない無とすれば、何もないところから何も発生しないのでは?

何もないところから何か発生するのであれば、何かがあって発生するはずです。理由があるから現象があるはずで、法則はどこから来た?

何もないところからは何も発生しない。「何もない状態」を外から見るような状態がまた、あるはずです。

畏れとは、相手の人格・心を尊ぶことです。

ターゲットとした人に弱る気持ち(想念)をうつして、自分たちのことを良いと思わせておきたい手合いには、畏れがありません。自己保存や自己愛のための怖がりはあります。演じます、ウソをつきます。
畏れとは、相手の人格・心を尊ぶことです。

だから平気で、スピリチュアルバイオレンスと言える行為によって、ターゲットの人格(心)をなくして、弱らせ、迷わせるようなことを行います。

チョウチンアンコウのような手合いですが、怖がってはいけません。怖がるのは、相手の思うつぼとなります。

しかし、同じ穴のムジナになってはいけないのです。たたかわないことです。同じ土俵に乗ってはいけません。

相手と同じことをしてしまえば、同類のものになってしまうでしょう。
あなたの思いを反対にする想念(霊的暴力)に対して、それを反対!と単純にすましてはいけません。王道は、あくまで「穏やか」です。

2012年の知床半島のことです。ヒグマは、毎年やってくるマスが温暖化の影響で1ヶ月遅れて到着しました。その1ヶ月の間、待ち続けていたヒグマは飢えて死んでしまうものもあって、そのヒグマの死体を他のヒグマ達が食べて、何とか飢えをしのぎました。
ひどすぎる可哀そうな事態になっていました。マスの到着を1日1日待っていたことでしょう。信じていたでしょう。

温暖化で食べ物が不足すると、当然、人が住んでいるところに出てきます。
町中に同じヒグマが20回近くも出没してしまうと危険です。本州で見られる雑食性のツキノワグマよりも、ずっと体が大きい肉食獣です。
他界させるということは、嫌でもしないといけない。町中で人が食べられると言う悲惨な状況になってからでは遅い、となります。

規則(校則、法律)などを堂々と違反して見せて「大丈夫だ」と教えて、そして自分で考えたこと、思いつきなどで決めた色々なことを教え、従わせ、守らせようとする。
しばらくすると、別れの少し前、この日を境にしばらく会わなくなると決めて来ている日など、とにかくそのような終わりの頃になると、何か謝ったり、自分は何も分からないと言いながら、具体的に分からないことや自分の悩みを打ち明けてくれたりします。

しかし、内心は「自分は知らないことを知っているから賢い」「君は自分が知らないことも知らない」と思っているのです。

そう、ソクラテスです。

一神教であり最高権力者・指導者がイスラム教の一派であり、その法によって治められているイランのある側面に例えると、手合いは一人で、法学者・宗教警察・執行役を演じているかのようです。

1660年に他界されたフランスのセント・ヴァンサン(聖バンサン)は、貧しい人たちのために尽くした神父でした。生活に困窮している人たちや病いにある人の面倒を見る施設を世界各地に作りました。

食べるためのお金だったのが、お金をできるだけ多く得て、身体は楽して、得たものを見せびらかしたくなった。争いになった。

だから、食べられない人達が出てくる。

物質は有限、「あれほしい、これほしい」物欲は無限。