理想という名のもとに

神の名の下に行われる暴力に「NO」という内容の言葉をローマ法王が言われました。

神のために自らの信仰のためにならば何をやってもいいという考え方です。
日本には、仏のためにならば、自らの理想の為ならば何をやってもいいという考え方の人たちもいます。
当然間違っています。

自分の理想のために何でもやっていいとすれば、それは悪魔です。 自分の欲を満たすために何でもやっていいということでもあります。

理想という名のもとに行われる心への暴力

地下鉄サリン事件も信仰のある人たちが自らの理想のために行いました。この行いは立派なことなのでしょうか?

水道の民営化は、理想通りに進むのでしょうか。
ボリビアでは。フランスでは、どうなったのでしょう。
自国第一主義のように売上第一主義の会社にいいようにされないのか。特に外資系などに。外資系の会社に水を委ねてしまったら、水の安全性に疑問が出たり水道料金が高くなった時に政治の力で、国が会社に指示をしても素直に聞いてくれるのでしょうか。

水は、トイレの水を流し顔を洗い、歯を磨き、体を洗います。食器を洗うのにも使いますし、料理にも使います。掃除にも使います。郵政民営化とは違うでしょう。水の代わりになるものは何なのでしょう。

自分で山の清水や湧き水から水道を引きたくなりそうです。その水も経済主義による温暖化からの水不足で枯れてしまったり、利益第一主義の人達からいたずらされたらどうしよう。

東日本大震災の随分前、私が学生だった頃、人の役に立つことや人が喜ぶことは、わかりやすい見返りがないとしてはいけないと言うことが、私を含めた周囲では徹底されていた。

人の役に立ちたい、無償の奉仕など、そんなことを考えているだけで、後ろに新宗教の人がいて、いつのまにか家に上がり込んでいて、自分が今までに得た経験と感動からできている今の自分の人格、常識、好き嫌いなど、精神・心が全てなくなって、その新宗教にとって都合のいいような人格にされてしまう。

とても悲惨で恐ろしく無慈悲なことだと皆怖がっていました。

無償の奉仕、人のために尽くすなんて、とんでもない。

そうです。いろんな人と関わり、得てきた経験と感動と知識と教養と、人や動物に対する感情など全てがなくなってしまい、真空状態のような心に彼らがいいように作った心を入れられてしまうということでした。

そのような私の学生生活が始まる3年くらい前、アフリカの恵まれない人たちにお小遣いを募金したり、その人達と手紙のやり取りをしていた同級生が、そのことが原因で、いじめに遭い自殺に追い込まれました。

そして、私があるお店をしていた頃、熱心に通われていた女性の方が、新聞を読まなければいけない怖い団体から「夫が粛清される、粛清される」と震えながら涙を流していました。その女性の方が店に来なくなって数ヶ月以内だったと思いますが、 その女性の方の夫が自殺されたと言うことを知りました。

仏の名の下に行われる心への暴力に「NO」

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