善良、自分で考える人、唯物主義じゃない人達を撃つスナイパー

中学生の頃、ベン村木は、中学校内で知的障害のある同級生に、お手・お座り・ちんちんと言って、犬に対する芸を模倣して、最後に性器を露出させること教えて、周りに見させていた。
当時、私は、ベン村木たちが教えている最中は、考えられない悲惨なことをしているとは知らなかったが、しばらくして見せられた。

20代後半の頃、ベン村木は、ガソリンスタンド勤務でおそらくガソリンスタンドの責任者になっていたと思うが、知的障害のある同級生が自転車で通勤する姿を携帯カメラで撮影した画像を、馬鹿にしながら私に見せた。

仮名に使っている「ベン村木」とは

ベン村木とは、映画「哀しい気分でジョーク」に登場する「ガヒョーン」というギャグを持っている売れっ子芸人。洋(ひろし)に会うたびにギャグをしてみせるなど、仲良さそうに気が置けない間柄のように接しているが、洋が深刻な状態になりかねないような悪口を言いふらしている。

ベン村木のような危険な同級生だから「ベン村木」

オーバたちは、私の前でベン村木が何を言っても何をやっても、私の周囲の人たちが、ベン村木を神輿に乗せて担ぐように、ヨイショして全許容する想念がうつるようしていた。

私の目の前では、ベン村木はどんな酷いことをしても皆の人気者だったのだ。

ベン村木に何を言われても何をされても、私の前では同級生たちは喜ぶだけだった。

ベン村木は顛倒(てんどう)だ。さかさまの感覚の人間だ。顛倒とは、臭いを「いい香り」、美しいを「汚い」ように思うことなどに代表されるような、正常な愛念と真善美が反対の人間(低級霊と一体化している)最も残酷な心だ。

将棋の王将
顛倒(てんどう)と言っても、将棋の駒で有名な天童(てんどう)市のことではない。

善を毒する貪欲・怒りと恨み・愚痴

仏教において人の善根を毒する貪瞋痴(とんしんち)の三毒と呼ばれる三種の煩悩、貪欲、瞋恚(しんに:怒り、恨み)、愚痴がある。

貪瞋痴(とんしんち)の三毒

  1. 貪欲
  2. 瞋恚(読み方:しんに 意味:怒り、恨み)
  3. 愚痴

善の心が枯れてしまう毒である。

私が通っていた大学の提婆達多(ダイバダッタ)のようなオーバであるSとアサハラは、よく「毒を吐いてやる」「毒を吐く」と確実に「毒」を自覚しながら広い学食で、ちょっとでも気になる人や目についた人に向かって、また、気になる人や目につく人たちがする会話の内容を聞いて、気になる人や目につく人の心や会話を壊すような「毒のある言葉」をよく叫んでいた。

Sとアサハラは、自らをスナイパーと言っていた。

毒を吐く前後には必ず「俺たちは多人数で、いざとなったら頼りになる奴がいる。」「どうせ何もできない。(手出しできない)」「はっはっはっは!」と笑いながら毒を吐いていた。

心なく手段を選ばず、つまりは警察に捕まらないように、訴えられないように、収入が確保されている状態であれば、何をやってもいいからとにかく、肩書きとお金、そして見た目を貪欲に追い求めさせ、常に怒りと恨みを持たせて、何か嫌なことを思い出させて言いたいことを言わせる。

三毒の実践と、三毒を行う気持をうつすのは、オーバ達の王道とも言うべき手法である。

痛めつけるのが楽しい?

同級生の結婚式で、私が何人から何度も何度も聞かされた内容が以下だ。

笑いながら何度も人を刺すのが一番こわい。明るい日差しの中で笑いながら人を痛めつけ何度もナイフで刺すのが一番怖い。笑いながら人を何度も踏みつけるのが楽しい人がいる。

痛めつけるのが楽しい人がいる。
○○の近所にいる。オーバのライダーたちはそうだよ。○○もそうなるよ。

オーバたちに○○に言っておいて、と頼まれた。

同じ内容が、三島由紀夫の小説「金閣寺」にあった。

ふと私は、柏木が初めて会った日に、私に言った言葉を思い出した。我々が突如として残虐になるのは、うららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に木洩れ日の戯れているのをぼんやり眺めているような、そういう瞬間だと言ったあの言葉を

オーバたちは、三島 由紀夫「金閣寺」の柏木の言ったような思い「うららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に木洩れ日の戯れているのをぼんやり眺めているようなとき、突如として残虐になる」を念じて(想像して)、ターゲットに「お前はそう思っている、そうなる」と憑依させることなど毎日だったりもするのだ。

参考
哀しい気分でジョーク [ ビートたけし ]
金閣寺 (新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]

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