悪いを善いと広めている手合いは、完全に悪。不幸にして喜ぶ魔王

あなたも魔王のように、他人に不幸を負わせるのがお楽しみなのね
~「嵐が丘」より

不幸を負わせるのが楽しいなんて。魔王とはまさしく、その通り。不幸を背負わせるのが楽しいなんて、魔の王と言うべきものだ。

魔王の言う「あなたは聖職者」の手法

相手の仕事や職業を聞き、何でもかんでも聖職者だ。聖職者の仕事だと言う。

「ということは、○○さんは、聖職者だね。聖職者の仕事だよ。」
聖職者のイメージによって、聖なる人、聖なる仕事だとおだてる。

後で聖職者はしてはいけないことがたくさんある、と何でもかんでも禁止するように強いる。傍から見た絵空事の中のような、あらゆることを禁欲して、神に祈りを捧げることのみを生活をしている牧師さんか神父のような、聖職者像を作り上げて、あなたをまつりあげようとする。

魔王の目的は、自分たちの言うことを聞かせること、いろいろなことをさせないことにある。

無理に禁欲をさせることによって、精神に異常をきたすことは多々ある。
本当にずっと禁欲ができる人というのは、生まれつき特別な体質の人である。

わかってしまうと「悪」が広まらない

低級霊(未浄化霊・低級自然霊)と低級霊(未浄化霊・低級自然霊)は、集団化すると(集団化している)と互いに悪影響を与え合って、負のスパイラル(悪霊の集合体、悪魔)になる。

何度も言うが、手合いが周囲に及ぼす「不幸」にする行為と、手合いの「悪業」が悪だと、はっきりとわかってしまうと「悪」が広まらない。

規制されてしまう。生活しにくくなる。広まらない。

だから、手合いは自分たちのイメージを良さそうに「思い」「思想」「想念」で、隣近所で職場で学校で、メディアを通してうつす。言葉と行動が伴うこともあるから騙されやすいものだ。

「思い」「思想」「想念」だから公の証拠とならない。言葉も酷いものだが、証拠にするには困難極まる。

もし証拠にすることができれば、慰謝料、損害賠償などの支払いで手合いたちの会は、維持するのが不可能となり、解散しているだろう。

良い人、きれいな心の人?

良さそうに思っている人の言葉・行動・思い(思想・想念)などは、受け入れやすいものである。無意識のうちに受け入れやすい。

ターゲットにした家族(家庭)が仲たがいするように喧嘩させることなど、手合い達にとっては、たやすいことである。(ドメスティック・バイオレンス、家庭内暴力につながる)

喧嘩は、戦争につながっている。

手合いたちのことを、最低最悪と何十年も思い、確証を得て確信して、理性と感情でも間違いなく完全に魔王のような類であるとわかっていながらも、一瞬で、手合いのたちの作る反対の思いを、肯定してしまいそうになったりする(手合いは、お前の思いなど一瞬で反対にできると、自慢しているものだが)。

友達、仲間

憑依とは他者の思いで、あなたの心と脳と体が動くこと。あなたの体を車に例えると、車を乗っ取られるようなものだが、二人羽織のように、あなたが見る聞くなどのことを通して出る。

憑依と呼ばれるものだ。

手合いの霊術(悪魔の霊術)は、自分で思いながら相手のことを思うことで(確信をもって強く想像するように)、自分の思念(感情・思想)をターゲット(嫉妬、勧誘、いじめ)に、うつすのが王道だ。

手合い達は、自分たちのやっていることが、ばれるから、わかるから、想像力を否定して、想像力が必要なこと、考えることから、人々をなるべく遠ざけようとしている。

とにかく大々的に自分たちを、美辞麗句、清く正しく美しく思わせる想念(思念)と言葉、行動で、良さそうに思わようとしているが、実際は不幸を広めている不幸な集団だ

善さそうに思える手合いの「言葉」「行動」「思い」が、なぜいけないかと言えば、本当に善くなってはいけないという確固たる意志のもと、自分達をよく見せるためだけにおいてしてもよい、という動機から行なっているからだ。

手合いは、自分たちが何を言っても、何をしても、どんなに人を傷つけて、嫌な思いをさせても、不幸を広めていても、何食わぬ顔か、楽しそうに寄ってくる。もしくは、かわいそうな自分を演じて「かわいそうな人」と思わせる。社会の仕組みからして、自分達を無視できないと知っている。

そして無視すると騒ぐ。問題を大きくする。

できるだけ人間関係は丸く、仲良くした方がいいに決まっているという心理を利用して、手合いは、不幸を広める目的で色々な人と交流したがるものだ。

あなたやあなたの家族や友人、知人は、手合いと、友人のように1日遊んだり、電話で話しただけで手合いの思い(想念、思想)がうつってしまい、手合いたちと全く同じ言葉・行動をとったりすることもある。

うつってしまうと、手合いのことを褒めたり、いいやつだと周りに宣伝したり、仲良くすることを促すものである。
嫌々仲良くしていても、仕方なく限定された場での付き合いでも、手合いの宣伝をしたり、いい人だからみんなで仲良くしよう、というようなことを周りに、広めたりするものだ。

しかし、手合いと仲良くしてはいけない。近所、職場、学校、顔見知りなどで無視できないにしても(無視すると騒ぐ、問題視させて事を荒立てる)、なるべく関わらないように、最小限の付き合いにとどめておかなくてはならない。

近所付き合いだから、友人・知人のようになってしまったから、と手合い達の販売している書籍や機関誌を、付き合いで買うなどよくない。

悪の極みで、憑依するのが得意な手合い達が発行して、読ませているものだ。買ってしまったら、あなたは近所で同じものを見て、読んでいることになる。強烈な憑依があるに決まっているだろう。

家族がどうなるか、家内危険になる。

参考資料

嵐が丘 (新潮文庫) [ エミリ・ジェーン・ブロンテ ]
スポットライト 世紀のスクープ [ マーク・ラファロ ]

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