「喧嘩の種まき」をしながら平和実現なんてあり得ない

和歌を一句

なんてこと
その人たちは敬虔だ
それはそのはず
手合いの十八番

ある手合いが、ひどい言動をしているにもかかわらず、表面上の思いとして、この人は綺麗、明るい、透明、敬けんだ、と思ってしまいそうになることがあります。
その手合いの得意技です。このことに限らず、その手合いの言動「喧嘩の種まき」などは全国チェーンで行われています。
人の想いってうつりますよね。わかることありますよね。

わかるということは、あなたの心の中に入っているということです。少しであれば「わかる」ですが、多いと、一時的にその人のようになってしまいます。
このことはみんな知っていますよね。 この事が事実であることを示すオカルトではなく新宗教でもない信頼できる書籍、動画、映像、出版物など枚挙にいとまがないはずです。
1848年から大きくわかりやすくなりました。

聞いたことはありませんか?

  • 一つ見所があれば(作れば)後は、そこからどうにでもなる
  • あの新聞に書いてあることは、会員向けの宣伝と会員を安心させるためのものだ

あの新聞に書いてあることは、会員向けの宣伝と会員を安心させるためのものだ、と。そして、間違っても、そのようになってはいけないと、厳しく言っています。
見た目だけそうしていなさい、中身までは絶対ダメだ「喧嘩の種まき」「見た目だけの世の中にしなさい」というわけです。

その新聞を読んでいれば、どんな酷い事をしても綺麗、明るい、透明、敬けんだと見た目(表面上の思い)思われるから、というわけです。

友人、恋人つくり、売買などもこれを使って行なっています。気が置けない、話しやすいと思わせます。理由はないけど何だかこの人いい、というわけです。
その手合いは、一つ見所があれば(見所を作れば)後は、そこからどうにでもできると豪語しています。

その手合いは「自分たちで作った思い」を人にうつしています。

騙されていると、どんな酷い事をしても綺麗、明るい、透明、敬けんなどと思ってしまうことがあります。
わかっていても、一瞬このように思ってしまうこともあります。

ここで一句

自分らで
つくった思い
いい人だ

悲惨なことをしておいて、自画自賛する。悲惨なことをしておいて、自画自賛する。自分たちで「自分たちを尊敬させたい」「敬けんで正しい人たち」だと思わせるために自分たちで作った思いを周囲の人にうつす。このようなことをします。

最初は笑わせるための冗談かと思ったり、あまりにもあり得ない笑わせ方なので、大笑いしてしまうでしょう。私はそうでした。
しかし、「これは本当になる。」「笑っているということは馬鹿にしていることだ、そのうち、そうなる。そうする。」などと、その手の内をあかしたりもします。私は、その時、その当時、その言葉自体ごまかされました。

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