世界と日本、死刑制度反対

自分の利益のために他の人間には何をしてもいいと言う考え。何をしてもいいとは言っても、それは法律で裁けないなど目に見えないこと。

「証拠は残らないんだからいいだろう。」 「誰も見ていないからいいだろう。」

天使

人は死を迎えると肉体を脱ぎ捨てて幽体(たましい・霊体)となるが、あの世の最も低いと言えるような階層には宗教家や政治家がたくさんいると言う。

人を恨んで妬んで体調を崩させて、あることないこと言いふらして、何か悩み事がないかと近づき入信させようとする不届きな新宗教団体は日本において健在である。

法で裁ける、目に見える行為によって刑務所に服役する方が、本人にとってはまだ良いと言える。(犯罪はいけません。)それは、誰しも少しでも罪を償うからで反省も少しはできるからである。
物質主義的な考えの中では、どんな悪いことをしても法によって裁かれなければ、また仲間内でなんとか許されれば、金や肩書きや成果を上げるか仲間内の価値感などで評価を得て、周囲を羨望させるように、それを生きがいのようにして生きていけるものだ。

言いたいことを言って、やりたいことをやって、法で裁かれた場合、日本には極刑として死刑がある。 日本に住んでいると死刑という罰は当たり前にあると考えがちであるが、実は世界を見ると過半数の国々に死刑という極刑はない。事実上においては世界の3分の2以上の国々に死刑はなくなっている。死刑のある先進国は、日本とアメリカだけである。

参考:アムネスティ日本インターナショナル

https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/

2017年12月31日現在において死刑を行っている国と死刑を廃止している国の数

https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/pdf/DP_2017_country_list.pdf

これもわかりやすいわけで死刑という罰は残酷だからないのである。世界の国の中では法律にはまだ死刑という制度が残っていても事実上、死刑を停止して、死刑をないものにしている国もある。

私は死刑制度に反対である。理由は、法律で日本という国が制度において人を殺すというのはあまりにも残酷だからである。そして、自分の中でその理由になる過程において、人は死んでも終わらないという事実があった。人は肉体を脱ぎ捨てて、たましい(幽体・霊体)となるわけだから、ひどい罪を犯したとしても、肉体がなくなるだけで、たましい(幽体・霊体)はそのままだからである。
つまり、たましい(幽体・霊体)だけの、ある程度自由な身となり、やりたい放題で人に憑依するなどして、また同じような事を繰り返すからである。
このことがわかると、どんなに人が憎くても死刑というのは、その憎い人を反対に自由にするということなのだから、死刑にしないで反省して改心してもらいたくなるのである。
そして、こちらの気持ちも寛容で優しい気持ちになるのである。

その存在をなくしたい、消してもらいたい。という被害者とその友人、知人、家族、遺族の方々(関係者の方々のお気持ちを察しいたします)の気持ちも痛く神経が切れてなくなってしまうほど想像できるものだが、このような事実を知ってからは、死刑のニュースを聞くたびに、なんでこんなことをしているのだという気持ちにしかならない。

マザー・テレサは、相手の行いを「許すこと」で戦争がなくなるという内容の発言をされている。

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