第三者が決める悲惨な道から抜け出すために

「平和の名のもとにやってくる。だが、彼らの目当ては財宝であり、十字の印を持ちながらも、その教えの通りには生きていない。」

フロリゼル・フォン・ロイター「イエス・キリスト失われた物語−聖書が書けなかった生と死の真実− 」より

日本にも「彼ら」に当てはまる者たちはいる。さらには、真善美のもとの動機が正しければ、財宝で得られるはずの恩恵や経験と感動を、見かけだけのがらんどうなものとすべく、日夜、悪念1)ターゲットにした人達の思いを反対にしたり、自分が作った気持ちをうつしているを放ちながら東奔西走している。

釈迦の教えを盾にしながら、釈迦の教えには従っていない。日蓮を尊いものとしながらも、日蓮の教えにある「悪い僧」「悪者」にあたる。つまり、釈迦、日蓮の教えとは反対のことをしている。

手合達のような悪魔の憑依者の団体とまではいかないが、個人や親子、夫婦、地域の集まりレベルでも「善を不善として、悪を善とする」、驕慢な性質で、善を飲み込むか跳ね返すか、親の仇にしているような不幸な憑依者たちがいる。

いわゆる「飛んでくる」と言われている人たちの多くは、憑依者に当てはまるだろう。生まれた土地を離れて、進学先の学校に通ったり、仕事をしている人達の、通学や仕事をやめさせるために、わざわざ遠距離を移動して、退学、中退、失業させることをしている不幸としか思えないことをしているからだ。悪を善いとして行っている憑依者である。

そう、大味とダイバモドキなど。

コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズ」の第1作目「緋色の研究」に登場する当時(19世紀末ごろ)のモルモン教会をモデルにした架空のモルモン教徒の町の支配者のような考えを当然としている大味とダイバモドキ。(少なくとも19世紀末頃から、普遍的な人間の感情、理性としておかしすぎで、誰もが非難するであろう考えの大味とダイバモドキたち)

スコットランドヤード

大味とダイバモドキは、普通に考えるところで言えば、大規模農家ではなくて、小規模農家なのだが、近くの家々の持つ農地と比べると、ちょっとだけ農地が広い。近所の集まり、地区の共同作業などにおいて、全て自分たちが取り仕切り、自分達にとっていいように、思い通りに事が運ぶように「農地の広さの順に、身分が決まっている。農地が広ければ広いほど、偉い。何でも決めることができる。」として頑として譲らない

近所の人達の進学、進路、就職、人間関係、趣味、見るテレビ番組まで、決めたがる。

第三者が進学、進路、就職、人間関係、趣味、見るテレビ番組まで、線を引いて決めるような時点で、サイコパス的でおかしいのだ。

ダイバモドキ、大味、ダイバ達の感覚は、全世界、時代を問わず間違いなく、慈愛、思いやり、真善美などと真逆なはずだ。

冗談のような考えなのだが冗談ではないから、常識的な思考ではわからない。法にも触れないようにしているから、余計わからない。大人が本気で騙すために、芸の細かいことをしたり、ダイバのように「思い」をうつすこともあるから、またわからない。

純朴で素朴で素直そうな表情、申し訳なさそうな顔をしてみせていることが少なくない。汗水たらして、肉体労働と自分の家の経営(経営の仕事などは、事務仕事で、金の計算などで、つまらなくて良いものじゃない。)を日夜頑張りながら、地域の活動など率先している。しかし、心と見えにくい行動は、いじめ好きで強欲で悪徳(悪を徳としている)、真善美の反対を善いとしている。

実情を知らないと、見た目は良いかもしれない。しかし、実情は、書いたとおり。

加えて、自分達をかなりの偉物だと思い込んでいるため、驕慢で傲慢だ。

ターゲットを気楽にさせながら、お前は何でもないヤツだ、自分は偉い(自分以外の誰かと比較するパターンもある)という内容の文句を繰り返す。ターゲットが途中で怒って何か反論しないように、手法に気づかないように、時にターゲットの機嫌をとりながら、話題を替えながら何度も繰り返す。

心構えから

ダイバモドキ、大味、ダイバ達が近所、職場、学校などにいる場合、普段から、悪徳と不善を善しとする思いや思考に心許すことなく、関わらないようにしながらも、あからさまな無視などはしないで(無視したと騒ぐから)、絶対に仲良くしない

友人・知人、家族などに仲良くするように言われても、すすめられても仲良くしない。

手合いたちは、あなたと自分たちの間に、あなたの友人・知人、家族などを入れて、自分達と仲良くするようにすすめさせるものだ。

参考文献

脚注   [ + ]

1. ターゲットにした人達の思いを反対にしたり、自分が作った気持ちをうつしている

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