天は自ら助くる者を助く。まずは自助努力が必要。不善を善としない。

全ての行動は、自分の仕事に役立つことをしているなんて、一生懸命で真面目でしっかりしていて、一見良さそうにも思えるように言っている者もいるものだが、一生懸命で真面目でしっかりしているように見えても、自由が少しでもあると(ゆとりができると)、のんびり好きなことをして好きに思う時間が生じると、粗暴で争いやすく荒っぽい気持ちと行動になる。

本当の楽しみ、自由な時間、自分と他人に優しい時間は必要だ
遊んでいるように見えて仕事をしている。100%仕事の毎日。休みなし。休みはいらない。仕事、テレビ番組、映画、動画は、イメージトレーニングか仕事に役立ちことだけ。

上のように、休日、休み時間も仕事のために頑張っているなんて、一見良さそうにも思えるが、少しでも気まま自由になってしまうと、すさぶ。心が荒ぶる。

遊びがないといけない
遊び、楽しみ

遊び、楽しみ、ライフスタイルに喜び。

正常な遊びがないといけない。休みの意識、楽しい嬉しい思いやりと慈愛のある時の過ごし方が必要だ。

休みや楽しい遊びの時間が取れない場合は仕方ないが、仕事の中に自由な時間と遊び、楽しい嬉しい気ままな感情でいられる時間や内容を作ることだ。

気ままといっても、もちろん正常な愛念、善良な状態での喜び嬉しいことを作ることだ。

東京から実家に戻り、仕事している頃

人間、仕事以外に趣味や楽しみを持たないと、心とやることが汚くなる、と聞いたことがあるが、「荒ぶ」ことは、裏付けのような事実だ。

仕事だけの人間になると、休みの日には他の人の足を引っ張り出すというものだ。出世、比べてどっち、収入・肩書きを比べてどっち、わざわざライバル視する、杞憂からの身の保身(自然の保全なら善いが)のために悪いことを始めるというもの。

古来からある、加害者や邪で支配したい者たちの手法

善良な一般の人達は、ありえないタイミングで言ったり、知っていることをわざわざ教えたりして、なんでもかんでも教えるなどと言う発想自体がない、とんでもないことはしない。

聞いてもいないことで、誰でも知っていることを、わざわざ教えるということ自体がおかしいのだ。

なぜ、教えるのか?
言いなりにするため。あなたを支配するため。自分が作った気持ちをうつすため(憑依、生き霊、お化けがでる、水などと言ったりする。)
被害者、経験者の言うことは、説得力がある

いじめられている人が、いじめられていることを公にする。つまり、被害者が問題を明るみにすること。被害を公表するのは、いじめられたり被害にあって、泣いている人(被害者、困っている人)が、泣かせた人、困らせた人、つまり加害者に向かって、泣きわめきながら向かっていくみたいで、おもしろくないから相手を困らせてやりたいみたいで、仕返しするようでみっともないことだろう、と間違ったとんでもない発想を広めている。

実際に酷いことをされた加害者(悲惨な経験をしている人)が、世間や第三者に、被害や問題を解決しようと伝えたり、明るみにするのではなくて、被害や問題、いじめ、酷い行動を見ている周囲の者や加害者側が明るみにすることが正しい、みっともなくない。説得力がある。という間違っているとんでもないことを広めている。

少なくとも中学生になるとナザレの町では、被害者は黙っているべきで、加害者か第三者が、誰かに言うか明るみにするかを決める、と教わるようになっている。

実際にされた人がされたことを言ったのでは、説得力がないという反対のことを教えている。ただの仕返しでみっともないとしている。(青ざめるようなことだ。)

いけないと訴える行為について、被害者がいうから説得力があって伝わっていくものなのに、第三者か加害者が公にするのが正しい、という反対のことを明るく快い気持ちで良いだろう、と広めている。

自分がされた悪事を黙っているのも、見て見ぬふりと同じこと。

悲惨なことが繰り返されないように、悪事を見て見ぬふりをしないようにしたい。

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