一人一人が孤高で考えて投票する

選挙権があるのに選挙を棄権して投票する人が少ないと、どうしても組織票頼りの政党が当選しやすくなります。

投票したい人がいないという場合もあるでしょうが、それでも消去法でもいいので投票しないと、組織票の人たちの思惑通りの社会のままです。より良い住みやすい社会になりません。

今が楽しければいい?

夢を語り、途中までその夢の実現に向かって毎日たゆまぬ努力をして、精進しているように見せて、その実全くそんな気はなくて、親やコネ頼りの固い道に進むことをしっかりと決めている手合いがいます。
そんな気は全くないのに、なぜわざわざ夢を語り、夢に向かっているように見せているのか?
その夢に向かっている人たちの足を引っ張ることがその目的、動機です。

芸術家、歌手、プロサーファー、プロレーサーなど、そのようなスクールに通ったり、実際にそのような活動をしたり、トレーニングをしたりしていますが、まったくそんな気はありません。

動機は足を引っ張ること、また周りに見せることです。

このような人達が支持する政党。

そんな政党の議席数が減り、勢力が衰えると良いことがあります。

故意に、我慢と怒りと悲しみと喧嘩と迷いの気持ちを広めて、自分たちのわがままと物質的な見た目のためなら人をも傷つけ・殺すような勢力の表面的な部分と支えが衰えるということです。

漫画界のマエストロ、手塚治虫先生は言いました。

決して反戦だの平和だの、と政治的のみのお題目では子供はついてこない。率先して生命の尊厳から教えていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。

心ある思いやりに満ちた社会に近づくのです。

選挙に行けば、魔王のような人たちの嫌な言動が減るかもしれないのです。

苦労は買ってでもしろといいますが、それは自分や人に役立つための苦労であります。しなくてもいい苦労をしてしまうことを「身から出たサビ」と言います。

手合いは魔王と呼ぶことができます。魔王のお楽しみは、人に苦労を背負わせることだからです。

魔王は、他人をサビつかせて、わざわざメッキ加工してくれます。

多少の差異はあるものの、共通した理性や良心でこれまで生きてきてできた価値観や精神性、個性を御殿に例えると、魔王はその人にとって大切な御殿を壊して、あばら家を建ててくれます。

トルストイ作「アンナ・カレーニナ」では、アンナとヴロンスキーは、「嫉妬」のことを悪魔と呼んでいます。悪魔が出た、悪魔を追い払った。

自分を見失うことは良いことでしょうか ?
自分を見失わせることは、果たしてまともな事でしょうか?