最も大事なことは「どうゆうつもり」なのか

新しい店などに通って、その店の人にはいい顔をして見せて、その裏では、その店が潰れるように働きかけている。そういうことしているとは、わからないようにしなければならない。

~ある会が方針として、それぞれにやらせていることです。

人の愛念、慈しみ、教養、大事にしていることなど、人それぞれの思いを手合いは、反対にすることが最もシンプルで残酷なことだ、としっかり理解して行っています。

真に聖なる教えの育み、平和や公に明るく生きることに毎日、反対しろ!と周囲に強制しています。低級で邪で悪意ある社会になるように矯正しようとしています。そして、同じことをしながら皆で共生しようというわけです。

手合いは、成績が良かったり、仕事ができたり、お金を持っていたり、弁護士だったり、医者だったり、歯医者だったり、農家だったり、介護士だったり、看護師だったり、有名人だったり、芸能人だったりするでしょう。

小さく弱く情けない気持ちにさせる

とにかく弱い想念を入れてきます。正確には、比べて弱る想念と言った方が良いでしょう。何も考えられなくなって、空っぽだから言うこと聞かせやすい状態。人格がないような、いわゆる、生まれてからこれまで経験と感動、知識、教養、心、正常な愛念(慈愛を受けてきたこと、与えてきたこと)など、すべてなくして、自分たちが作った「思い」で、自分たちの思い通りにコントロールしようとするものです。
その手合いの最も残酷で心無い行いの一つに、相手の言動の動機を変えるというものがあります。
また、一度ショックを与えてから、癒すようにして仲良くなろうとしてきます。傷つけてから薬を塗るというようなものです。

そのような行為は、純粋であったり相手を喜ばせようとしたり、相手の小我であっても近づきたい、コミュニケーションをとりたいと言う正常な動機であれば許せるものでしょうが、心と精神を喪失させる目的の第一段階の場合であることが、ほとんどなのです。手合いは、そのことをほのめかしながらも、はっきりとは気づかれないように持っていくので、まず気づけないでしょう。

自分の心的態度、動機が変わっていたら、もしかして?と理性で相手を見ることが必要です。
それで、勉強ができなくなっていたり、単純な思考になっていたり、楽をしたいという気持ちで支配されていたり、自分で物事を考えられなくなっていたりする、とまず間違いありません。
自然にそうなったのではなくて、あなたの考えがそうなったわけではなく、環境が変わったからあなたの考えがそうなったのではなくて、手合いの仕業です。
穏やかな心で思いやりが当然あり、考えることができて、少しくらいは面倒なことが常にあるのが普通と考える自分を取り戻しましょう。

そのための方法の一つとして、人間の普遍的な感情が表現されているような文学・ノンフィクション・ドキュメンタリー、音楽、文化、歴史などに触れて、社会・宗教・政治の問題に関心を持ち、付け焼刃でない自分の考えを持つことが必要です。

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