レーサーが公道でもレーサーだったら、捧腹絶倒なほどおかしい

うつしている証拠

隣接している方と、同時期に同じ形(と言ってもよい)の建物を建てる。同時期に同規模で同じ土地の造成をする(果樹園の伐採、植樹など)

道路、急がない

そうすることで

相手のふりをする、相手の動きを読む(察知する)、相手に自分の思念をうつす、自分につられるように相手を動かす、自分の思いを相手にうつす。

などがしやすくなることでしょう。

された方は、自分がなくなる、自分がわからなくなる等、人格が2人羽織状態(あなたが見たもの、聞いたもの、読んだものなどに対して、他者の想念があなたの思いとなるような錯覚)になるので、「何だか、おかしい。こんなふうに自分は思うはずがない。理由がない。」など心労が絶えません。

こんな心、気持ちは自分であるはずがないというのが、わかるにもかかわらず、自分で思いたくもないのに思う、というのは「無意識に入った異常意識」つまり、自分以外の他者の想念・意識・考え方なのです。

思いたくもないことを思う。思ってもいないことが口から出る。体が勝手に動いた。異常な想念が感情に発現して、そのまま行動に出ようとするのを、必死で抑えて行動と意識を変えることが必要になるなど。

確証を得られる部分は、主観である部分が多いので、世間一般的に客観的には良くともその場限りで、その時その時でしか認められない場合が多いのですが、このような現実があることは、普段忘れていたり話題ならないだけで、何か極悪な目的を持っている者、もしくは異常に偏屈な人間以外は認めているはずです。

・・・・・そのようなものなので、知らないふりをされてしまえばそれまでで、法的手段に出ることもできず、対策は難しいものです。(このような見えないことに関する事実の歴史、研究、知識は、実験などにより客観的にも実証されています。疑いようのない事実として書に記されています。書籍など、たくさんあります。)

あなた自身ではない他者の想念(気持ち・心・思い)が、あなた自身の思いを動かそうとするのです。

芸術、絵画を観賞している人の心を喪失させる手法

芸術や絵画などを楽しんでいた人をターゲットにして、わからない、と思い込ませようとするのです。目的は、その人の心の喪失、弱り、怒らせることにあります。

相手の心を弱らせることで、自分の想念をうつしやすくなります。自分につられるように、相手を動かしやすくなります。また、言い聞かせやすくなるのです。

折伏(しゃくぶく)という自分勝手な思い込みによる恫喝のような行為もされやすくなります。弱っているところに、自分が正しいように(正法じゃ!正しい方に導くぞ!等)、丹田を意識して、大声で怒鳴ったりすることでしょう。

自分たちの仲間にしようとするための手法です。それに見せしめ、純粋な人格(魂)を狙うなど、いじめもあります。世界を悪(闇)で満たしたいので、善(光)は邪魔なのです。

それなのに、自分達は光だ。平和が目的だと嘘をついています。そうしないと、自分たちの強欲物質主義、野心と差別と喧嘩に導く思想が広まらないからです。

さて、騙されたり、操られたり、悪の限りを尽くされて、その手合いの支配下になってしまうと、その集団の機関誌を定期購読することになって、毎月お金を払うことになります。

それを取っていれば良くなる、と言いますが、(自作自演なので、手綱をゆるめるがごとく、少しは良くしますが)なおることはありません。

なぜならば、手合いにとって、機関誌の購読などをやめてもらっては困るからです。

はっきりとした直接的な支配が加わるだけです。

さて、絵画でも芸術でも心が弱るほどの「わかる」「わからない」か、どちらかとするのは、おかしいのです。サイコロを振って、半か丁かというわけでしょうか。

第1に、わかる基準はどこなのか?定義がないといけません。

観賞・鑑賞において、「わかる、わからない」はないと言えます。想像力が最もパーセンテージを占めるはずなのですが、何がわからないのか、わかるのか。
そのパーセンテージがあるはずなのです。

何もわからないはあり得ないので、極端に言えば「わからないは、ない」のです。つまり、誰でも「わかる」のです。

それぞれの視点が違います。どういう角度から見るか、考えるか、想像するかなどがあります。

開き直り、自分たちで言っているだけ。

何でもかんでも言えば、公明正大だと、自分たちの悪事、手の内を一度は教えながら行っています。だから、何をやってもいいのだと。

自分たちの行っている悪行を口に出していうこと、それに堂々と悪を行うこともでしょう、それを公明正大だからいいのだというのは、全く意味が通じません。公明正大の意味を違うものにしています。そこには理性がありません。

手合いたちの公明正大

それでも、自分達の団体名(会の名前)は言わないので、手合いたちの使う「公明正大」は、間違った公明正大なのです。

公明正大のつもりで、このようなことを行っていますが、公明正大ではないのです。

自分たちはこうしている、自分たちはこうだ、自分たちは・・・・・

手合いたちの言う「自分達は(複数形)」「そうしなければならない」など。

このようなことを行っている人たちの、何か名前のないサークルかグループのような、仲間になった人たちの集まりのような、そのような「その人と同じことをしている多数の人」と考えてしまいます。

「その人の仲間たちか。」「しなければならない?」「仲間内の流行り?共通認識?」

そして、「なぜ、わざわざそういうことを言うのか?」何か急に出てきたように、不自然すぎるのですが、なにやら明るいようなものを醸し出しながら、もしくは、青白く言うので、聞いてしまう話でもあるのです。

何か超常現象や誰にも言えないようなこと、分からないようなこと、見えない世界に関するようなこと、心に関すること、不思議な出来事、ありえないような話が現実にあることなど。そして霊的なこと。
それらのことを話しやすい友人・知人・近所の人に相談するのは間違っています。それに、現世利益の霊能者や、十万単位~など多額のお金がかかる霊能者、月々のお金と心がなくなる新宗教の人に相談してはいけません。

自分の思いを相手にうつして(生き霊を憑依させて)、自分で解決する自作自演。自分の新宗教団体に勧誘することは、日常茶飯時に行われています。

自分の思いがうつりやすいように(憑依させやすいように)、相手を困らせるために、生活と性格を乱して、仕事、学校での成績などがうまくいかないように仕向ける。

・・・・・世の中全てを乱して、 世界中の人々それぞれが身から出たサビを落とす苦労など、いらない苦労をさせたり、見た目だけにこだわらせて、争い・裏切り・怒り・羨望の気持ちを強くさせて、悲しみに明け暮れて、何かにすがりたいようにしておきたいのです。

その人たちは公には「平和」が目的だと宣伝しています。

(「でも、本当に平和になってもらっちゃ、困るんだよね、キミ。わかるだろ。」というわけです。)

集中して選んだ本を読むこと

表紙を見るだけで、狂信者の思いがうつってしまいそうな(操られてしまうような)新宗教以外の書籍を読んで、自分で解決できるようにするのが、最も確実で安価(中古ならば1冊1円から1)な方法です。インターネット検索で探す「無料」もおすすめです。

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